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仕分け前半の対象、福祉医療機構やPMDAなど47法人

4月20日22時31分配信 医療介護CBニュース

 
事業の評価を独法の組織改革につなげていく考えを示した    枝野担当相(4月20日、内閣府内)
 
政府の行政刷新会議(議長=鳩山由紀夫首相)は4月20日、事業仕分け第2弾の前半の対象となる47の独立行政法人(独法)を決定した。
厚生労働省が所管する独法は、福祉医療機構や医薬品医療機器総合機構(PMDA)など7法人で、19事業が対象となる。

枝野幸男行政刷新担当相は同日の記者会見で、「組織の在り方や独立行政法人という制度そのものの見直しにつながるという視点でとらえていく」と述べ、事業の評価を法人の組織改革につなげていく考えを示した。

前半の仕分けは23日午前11時から、東京都中央区のTKP東京駅日本橋ビジネスセンターで始まる。

 医療関連の対象法人は、厚労省が所管する

福祉医療機構、

国立病院機構、

PMDA、

医薬基盤研究所、

労働者健康福祉機構

の5法人のほか、文部科学省所管の理化学研究所も仕分け対象に入った。

対象事業は、福祉医療機構の医療・福祉貸付事業や国立病院機構の診療事業、PMDAの審査関連・安全対策業務など。
 事業を評価する民間の有識者には、昨年秋の事業仕分け第1弾にも参加した長隆氏(東日本税理士法人代表社員)のほか、南淵明宏氏(医療法人社団公仁会大和成和病院長)ら32人が選ばれた。

仕分け人は2グループに分かれ、23日と26-28日の4日間にわたって対象事業を評価する。


 

医療法人社団 公仁会 大和成和病院 院長
南淵明宏 氏 漫画「ブラック・ジャックによろしく」の登場人物のモデルの紹介

 (2007 9/20発行)
 
■特集 「医療の現場で考えられていること」
 
「心臓外科医の現場から」
医療不信が社会問題化する現代にあっても、患者の信頼を集める「名医」は確かに存在する。名医と呼ばれる人は、医療の現場で何を考え、どう行動しているのか。日本有数の心臓外科医、南淵明宏氏に話を聞いた。

PROFILE
1983年、奈良県立医科大学卒。医学博士。国立循環器病センター、セント・ビンセント病院(シドニー)、シンガポール大学病院、新東京病院(松戸市)などを経て、1996年9月、大和成和病院に心臓外科を開設。2007年4月、院長に就任。としても知られる。

-生涯一兵卒として医療という個人戦を戦いたい。-

日本専門医認定制機構のウェブサイトによれば、07年8月現在、同機構が認定している心臓血管外科の専門医は1848名。
しかし実際の手術となると、年に15〜20例程度しか担当しない心臓外科医も少なくないという。そんななか、たった1人で年間約200例もの心臓手術を手がける南淵氏が、外科医という仕事について語る言葉は重い。

 外科医とは「人殺し」である、と僕は思います。
手術の場では、どんなに手を尽くしても、患者さんが亡くなってしまうことはある
。そういう患者さんのことを、一生涯忘れることができずに過ごすのが我々外科医なのです。
確かに、命の恩人と思われることのほうが全体として多いので何とか耐えられるわけですが、たとえ一度の失敗であっても、一生自分の罪の重さを引きずる習性をもつことになります。

 そして外科医は常に現場の人間です。
戦国武将でいえば、大将であっても自ら先頭を切って突っ込んで行く上杉謙信のような存在。武田信玄のように自分は後ろに控えて用兵で勝利を挙げるやり方を否定はしませんが、むしろ生涯一兵卒として、現場の「仕事」を成し遂げる幸せを味わえるのが外科医です。
決して偉い立場にはないし、偉くある必要もない。あくまで「孤高の武者」なのです。

 そもそも医療というものは「個人戦」です。
もちろん、手術は優秀な看護師さんに助けてもらわなければできないし、術後のリハビリを行うフィジオセラピスト(※1)さんや臨床検査技師(※2)さん、臨床工学技士(※3)さんなど、さまざまな専門家の力が必要です。
そういう意味では形は団体戦ですが、全員がそれぞれの立場で個人戦を戦っている。
最近流行の「チーム医療」という言葉で表現できなくもないけれど、チームであることが馴れ合いや隠蔽体質につながってはいけない。
そういう意味であえて医療は個人戦である、と言いたいですね。

 一個人として一人の患者さんと向き合い、起こった結果は、汚名も含めてすべて自分一人で引き受ける。
自分にとってそれは非常に有意義な仕事です。僕は今後、何度生まれ変わることがあっても、外科医として生きている今のこの人生が最も充実している、といえる自信があります。

【※1 フィジオセラピスト】 
理学療法士。Physio Therapist(Physical Therapistとも。PTと略される)。
ケガや病気で低下した身体的機能の回復、リハビリを受け持つ専門家。国家資格。

【※2 臨床検査技師】 
医療機関で、血液検査や心電図検査、脳波検査などさまざまな臨床検査を行う専門の技術者。国家資格。

【※3 臨床工学技士】 
人工呼吸器、人工心肺装置などの生命維持管理装置の操作、点検を行う技術者。国家資格。

南淵氏が院長を務める大和成和病院は決して大きな病院ではないし、ましてや大学病院のような特定機能病院(※4)でもない。では南淵氏はなぜあえてここに活躍の場を求めたのだろうか。

 僕は「高度先端医療」という言葉が大嫌いなんですよ。
なぜなら医療というのは、どんなことでも高度だと思うからです。
たとえば三国志に出てくる華陀(かだ)という名医の話で、患者の家を訪ねながらろくな治療もせずに帰ってしまい、そのことで怒った患者が怒りのあまり食べたものを吐いてしまったことで病気が治った、というエピソードがあります。
これなどは非常に「高度」な医療ですよね。
現代においても、そういった市井の名医はたくさんいます。
そんななかで一部の医者が「高度先端医療」という言葉を素人だましの宣伝文句として振りかざすのは「よく分からないがご利益(りやく)がありますよ」と高額な水晶玉を売りつける霊感商法と同レベルですね。

 よくTVの視聴率至上主義が批判されますが、僕はこれは一つの大切な姿勢だと思っています。
「大衆には高尚なことは分からない」と見下すのではなく、世俗の評価は自分の鏡であると考え、その声を天の声のように聴く。
この姿勢は、どんな仕事にも共通して必要なのではないでしょうか。実はこの考え方は禅の教えの中にも出てきます。
「十牛図(※5)」という絵を通して説かれる教えなのですが、牛を探しに行ったのに、最後は「入廛垂手(にってんすいしゅ)」といって、探し求めた牛も手放し、手ぶらで多くの人が集う中に入って行く、その境地こそが最上だというのです。
医者ももちろん、世間一般の目を常に意識しなければならないと思いますし、今のところ、僕はそういった市井の場こそ最上の舞台として、外科医として生きさせてもらっているのだと思います。

 医者が世俗を見下ろし、難しい言葉や権威、肩書きに逃げ込みがちなのは、心のどこかで免罪符を求めているからではないでしょうか。
おそらく、逃げ込んでいる本人に悪意はない。
でも、すべからく我々は「人殺し」なのだ、という現実から逃げるために「自分はこれだけ立派なことをしているのだから許される」と思いたくなってしまうのでしょう。しかしそのような権威や肩書きは、医者同士の小さな村社会でしか通用しません。

【※4 特定機能病院】
高度な治療を提供し、医療技術の開発や研修を行う場として厚生労働大臣が承認した病院。
全国の79の大学病院と、国立循環器病センター、国立がんセンター、大阪府立成人病センターが承認を受けている。

【※5 十牛図】 
真の自己を牛にたとえた、禅の修業の過程を10枚の絵に表わしたもの。

とはいえ南淵氏自身は、そのような「権威」の世界を意識して離れたというわけでもなく、あくまで「好きなようにやっていたらこうなった。
あるいは放り出されたのかも」と語る。
そもそも「多くの人を助ける」ということさえ一番の目標ではなく、あくまで「私利私欲」のために仕事をしてきたというのだ。

 医師を目指した頃の私にとって、心臓の手術をするということは、メジャーリーグのマウンドに立つようなものでした。
医療行為の中で一番難しいのは心臓の手術であり、重圧に耐えてそれを成し遂げる達成感は他には替えられない、と思ったのです。
実際、初めて自分が居合わせた手術の現場というのは非常に感動的で、その場の全てを取り仕切る術者の姿は憧れでした。
だからまずは手術ができるようになることを目指し、それができたら次は、人にはできないような確実な手術、無駄のない手術ができるようになることを目指しました。同時に、心臓外科がいかに素晴らしいものかを世間にアピールしたいと思いました。

 実は心臓外科というのは、海外の病院では花形ですが、日本の病院の中ではたいてい厄介者扱いなのです。手術には時間も人手もかかるし、経営利益も出ない。
患者さんが亡くなる可能性も高い。
そんな理由で、心臓の手術をしたがらない病院は多いんですね。
それを自分が変えたかった。
そして、自分の仕事を通じて、学歴も病院の規模も、どの大学の医局に所属しているかも関係なく、「医療行為は個人戦なのだ」ということを訴えたかった。
徒手空拳で認められたい、そうすればあわよくば世の中の考え方を変えられるかもしれない……そういう自分にとっての「私利私欲」を追求してきただけなのです。

 今、新聞や雑誌に手術の症例ランキングの記事が出るなど、規模や名前以外のものさしによる病院の評価が始まっています。
全く無名の民間病院だった大和成和病院も、今は多くの患者さんに認めていただいている。
この状況を見ると、自分の行動も少しは世の中に影響を与えられたのだろうか、という気がします。

-「当たり前」の感覚こそが信頼関係を作り上げる。-

郊外の一民間病院に過ぎなかった大和成和病院に心臓センターができ、南淵氏が着任したのは11年前。
それから今日までの間に、全国から患者さんが集まり、年間535例(06年度)もの心臓外科手術を手がける病院になった。そこで医者と患者との信頼の礎となっているのは徹底した情報公開だ。

 僕たち術者はもちろん、日々求道(ぐどう)の精神で技術を高めています。
しかしそれは患者さんの側から見て分かることではありません。となると評価されるのはやはり「姿勢」ということになります。

 「姿勢」などと偉そうに言っていますが、要は僕自身が「普通の人」であったことがよかったのでしょう。
自分は特別だと考えている医者は、何か問題が起こっても「自分は特別だ!悪くない」と思えるのでしょうが、僕は普通の人間なので、患者さんが怒っていればおびえもします(笑)。
さあ大変だ、納得してもらうにはどうしたらいいだろう、と考えた結果が、症例の公開を含めたホームページでの情報公開であり、手術の様子を録画して患者さん本人に見せるビデオであるわけです。紹介医(※6)に送る写真入りレポートも、同時に患者さんにも渡します。

 このようなビデオや報告書類は、たとえていえば、ホテルをチェックアウトするときに渡される料金の明細のようなもの。
普通の感覚でいえば、こういったものがないほうがおかしいんですよね。
ましてや人の命がかかった手術であり、1回で数百万円が動くビッグビジネスでもあるわけですから、クライアントさんに内容を報告するのは当然です。

 医療というのは結果債務ではなく、経過(手段)債務。
「助かる」という結果を約束するものではなくて、「これだけのことをやります」という経過(手段)を約束するものなのです。
だからその「経過」についてはきちんと報告しなければ。
とくに今は何事もプロセスを理解しようというのが世の中の流れでもあります。
プロセスを包み隠さず知らせることで、一生懸命やったんですよ、隠すことは何もありませんよ、という姿勢を伝えることにもなります。

 また本音をいえば我々も、どんな気持ちで何をやったかを患者さんに知ってほしいんですよね。
医者だって人間だから、人の体を切り刻むことは辛いし怖い。そのことを同じ人間として理解してもらえればやっぱり嬉しいのです。

【※6 紹介医】 
ここでは大和成和病院に担当患者を紹介した医師のこと。

5年前には、提携3病院で心臓外科の研修が受けられる「COMICレジストラ(※7)」という制度を立ち上げた。
海外の心臓外科研修と同様、専門家として手術を行うに足る技能を修得するための研修だ。その根本にあるのもまた「医療は個人戦」の考えだ。

 「COMICレジストラ」では、出身大学にも一切関係なく、好きなことを「いいとこどり」で学んでもらうことができます。
そのかわり大学病院などのように、上から言われるままというわけには行きません。
研修を終えた人たちのその後も、国立病院でどんどん手術に当たっている人、海外でさらなる研修を積んでいる人、分野をしぼって勉強を重ねている人とさまざまです。
まさに「徒手空拳」の世界で、研修が終わればあとは実力次第。自分で責任を取りたくない人には辛いかもしれませんね。
でも、こうして「自分で自分の道を決める」ということもまた、本当は当たり前のことなのではないでしょうか。