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ブランド病院の作り方 医療法人鉄蕉会 亀田総合病院院長 亀田信介さん

 
医療過疎の南房総。唯一の基幹病院である亀田総合病院は、全国でも名だたるブランド病院である。
11代続く医師の家系の亀田家では、3兄弟が知恵を集め、柔軟な発想で次々と新機軸を打ち出す。
プランナー役を自任する院長の亀田信介さんに伺った。
 (メディカル朝日 2010年5月号シリーズ 医を語る)

 
かめだ・しんすけ◎1956年、千葉県生まれ。
82年、岩手医科大学医学部卒業。順天堂大学病院整形外科、東京大学病院整形外科を経て、87年、社会福祉法人太陽会理事長。88年、亀田総合病院副院長。
91年、院長 ローカルかつグローバルという一見相反する視点から打ち出される総合的な病院戦略が日本中から注目されている。
 
 
−−債務超過で、経営が厳しい時代が続いていましたね。
 
亀田 我々は本当に地道に一つずつやってきていましたが、1990年に電子カルテ開発に着手したことが経営を圧迫しました。
 ITへの投資が早すぎて、お金はかかるのに性能は悪いというリスクを抱え込んでしまったのです。
世の中のほうがもうちょっと早く我々を追いかけてくるだろうと考えていたのですが、制度がなかなか追いついてきませんでした。
カルテの電子保存が認められなかったので、紙と併用することによる無駄が出ました。
中途半端ではやめられないので投資を続け、解消に時間がかかりました。
 
 現状は、売り上げから経費等を差し引いた収支バランスがゼロに近くなったといったところです。
ただ昨年度はどこの病院もギリギリで、今年度の診療報酬改定でやっと一息つけそうです。
 
−−公立病院に対しては、厳しいお考えですね。
 
亀田 医業損益率(2007年度)では、東京都立病院が47%、千葉県立病院は34%のそれぞれマイナスで、それを補助金行政で賄っているのが実態です。
千葉県立病院の単年度赤字が十数億だと報じられますが、実際は100億円を超えており、他会計を繰り入れて黒字化しているわけです。
実態は永久に赤字です。
公金の投入の仕方にも民間と公的病院とで不平等があります。
公立病院と民間病院では、事務職の平均給与差が1.8倍です。
そのうえ、公立病院の赤字補填が“情報操作”されているのです。公立病院と民間病院は、同じ会計基準で比べるべきでしょう。
 
 全国では、自治体病院に約2兆円の補助金が使われています。
救急医療、地域救急医療、周産期医療などを公的医療と定義して、そこに優先して付けていただきたい。
公的医療をやってない公立病院は不要。
補助金が公立病院で無駄に使われることがなくなれば、新しい財源も要らなくなります。
 

自らスタッフ獲得に出向く
 
−−病院のブランド作りのために、いろいろと投資をされていますね。
 
亀田 病院にとっては、患者さまはもちろん、医療スタッフもまた顧客ですから、双方の満足度を上げなくてはいけません。
商品は仕入れなければ売ることができませんし、顧客は大切にしなければ居つきません。
仕入れには多少お金をかけてもよいと考えています。
病院にとっての商品とは、ずばり言って医師であり看護師であり医療スタッフです。
良いものを安く仕入れたいのは当然ですが、仕入れができなければ店を閉めるしかないのですから、元手は覚悟せねばなりません。
 
 魚屋は、早朝から魚河岸に行っていい魚を競り落としてきますが、大方の病院管理者にはそんな根性はなく、誰かに頼んで待っていれば来ると思っています。
いい魚屋は、いい魚を一生懸命探します。
もし、魚河岸でダメなら、朝2時に海に出て自分で釣ってくる。
同じ考えで、日本の大学医局に医師がいないのであれば欧米にまで出かけます。
 
 それが、経営者である私の仕事のほとんどと言えるかもしれません。
「こんな辺鄙な所にある病院に、なぜいいドクターが集まるのか」と不思議がられますが、皆さん「医局が悪い」と言って、自分で集めようとはされていません。
医局は私たちの大切な顧客であり、良好な関係性を築かないといけないのに、非難している
。これでは、医師を送ってもらえないのは当然です。
医師同様、医療スタッフも顧客であり、その価値を評価してできる限りの条件を提示することが大事です。
 
 そうは言っても、お金は限りがあります。
そこで、評価によって差をつけます。
医師はプロフェッショナリズムが強く、価値は自己実現に向かい、生活の充実を志向します。
各スタッフの役割が全く違うのに、同じ時間に出てきて同じに仕事をしろというのは無意味です。大概の病院は規則で縛りますが、おかしなやり方です
。ひいきと見えても、差をつけるのが評価というものでしょう。
 
 
病院は地域に育てられる
 
−−おいしいお魚をいっぱいそろえたら、お客もいっぱいやってきました。
 
亀田 患者さまが求めているのは亀田病院そのものではなく、その中で行われている医療です。
とりあえずブランドがあっても、継続して信頼につながるかどうかを決めるのは、現場の医師や看護師の質です。一瞬の線香花火では持続しません。
 
 遠くから来る人ほど期待レベルも高く、同じことをやっていては再訪は望めません。
足りないものがあれば即クレームになります。そこは難しく、やりがいもあります。
 
 医療の基本は地城医療で、実は一番難しいのは近隣の人たちです。
医療はインフラであり文化でもあるわけですが、それがゆえに、質が向上しても3カ月もたてばそれが当たり前だと考えられるようになる。
地域の高まる欲求や夢を真摯に受けとめ、できることを愚直にやり続けることで、病院は育てられてゆくのです。
 
 まじめにやっていると、知らないうちに地域格差が広がり、外の地域からも患者さまがやってくる。
口コミが広がるとまた増えます。
最初からそれを狙っているわけではありませんが、結果として遠万からも来院されるようになります。
 
 
国際標準取得で“出島”を作る
 
−−昨年は、JCIの認証で、国際的なお墨付きを受けられましたね。
 
亀田 JCI(Joint Commission lnternational)とは、アメリカの医療機関の審査・認定の先駆けであるJCAHO(医療機関認定合同委員会)の国際版です。
受審しようと思ったのは、日本は島国で井の中の蛙であるうえに官僚社会、いわば鎖国状態なので、そろそろ誰かが出島を作らなければという発想からです。
 
 インドネシアやフィリピンから介護福祉士・看護師候補が来日しています。
我々も受け入れていますが、漢字の障壁が高く国家試験には通らないだろうというのが率直な結論です。
これは実質的な鎖国と言えますが、一番困るのは国民です。超高齢社会で、独居老人を見る人が誰もいなくなるのですから。
 
 韓国ではソウル大学や延世大学の付属病院がJCIの認証を受けていますが、日本では一番乗りになりました。
更新は3年おきで、厳しい審査があります。
審査官は全員アメリカ人で、現場に1週間張り付いて英語で質問します。
上司が同席してはダメで、我々も手を差し伸べることができません。通訳が間違って訳すとそれも減点されます。
 
−−メディカルツーリズムも構想されています。
 
亀田 JCIの準備には1年かけましたが、当初メディカルツーリズムは全く意図していませんでした。
ただ、開国すれば引き金になると思っています。
 
 日本で商業ベースのメディカルツーリズムをやろうとしたら、マーケットとして想定されるのは中国とカナダで、必ず言葉の問題になります。
うちは日本で唯一JCIを取得しているので、中国の富裕層がアメリカ系の民間保険を買えば、当然支払いが行われるはずです。
来日する患者さまが少ない間は中国語の通訳がいれば十分ですが、入院治療を受けるとなると24時間対応しなくてはならず、中国人の看護師が必要になります。
 
 中国人は漢字文化圏ですから、日本の国家試験には圧倒的に有利です。
しかし、中国で高等教育を受けた優秀な人材が日本の試験に通っても、日本で働く一労働者というのでは、モチベーションが出ません。
ならば、中国のVIPがいる病棟で、中国語力と日中の看護師資格を生かせる職場を提供すると良い。
 
 日本で数年キャリアを積んで帰国してもらうという手もあります。
自分のスキルを生かし、言葉のハンディをプラスに変えられれば、我々のような田舎の病院でも優秀な中国人看護師が集まるはずです。
5年後に千葉県中の看護師がいなくなったとしても、ここには大勢いると確信しています。
 

医療を産業として地域の発展を
 
−−看護大学も構想されていますね。
 
亀田 ある調査会社が調べたところでは、亀田家のルーツは1644年まで遡る。
千葉県ではヤマサ醤油より1年早く、3番目に長寿の企業だとのことです。
もともとは僧籍で、6代目の亀田自澄がシーボルトを訪ねて帰ってきて学問所(鉄蕉館)を開いたのが始まりです。
1954年に病院付属の准看護婦学校を開校し、66年には民間で最も早い高等看護学院に転換してずっと看護師を育ててきました。
 
 歴史は長いのですが、高学歴化で専門学校には人が集まらなくなってきました。
優秀な看護師育成にはやはり4年制大学が必要で、ずっと計画していましたが、お金がないと学校は認可してもらえません。
ここにきてようやく踏み切ったものの、必死に寄付を募っているところです。
人によって目指すものも社会的背景も違いますから専門学校も残して、大学院に至るまで、あらゆるコースをきちんと作っていく予定です。
 
−−地域の将来を見据えていますね。
 
亀田 この地域ではわずか50年前は、9割が1次産業で働いていました。
僕の同級生の家は専業農家か漁業でした。
30年前には専業農家は3割ほどで、第2次産業の製造業にシフトしました。
近くにある新日鉄君津製鉄所(68年第1高炉火入れ)は開業時に正規雇用者が2万6000人でしたが、今は当時より増産しているのに雇用者は3500人です。雇用がなければ経済は回らないので、もはや第3次産業しかありません。
 
 現在の日本で明らかに供給が足りないのは医療・介護分野で、社会が高齢化してニーズが伸びています。
これをマイナスと考えず、産業としてとらえれば、経済を回す最大の原動力になることは明らかです。
 
 そこで、働く人たちの教育をきちんとする。
医療・介護分野では無資格の人でも働く場はたくさんあり、人を搬送したり、病院を掃除する人も重要なメンバーです。資格者が必要な場はさらに多く、看護師ならば3年制(専門学校)や4年制(大学)、あるいは1年コースで助手を育てたりと、供給に応じて効率的に人を育てていく。
経済を回すことを前提として病院経営と人作りを社会システムの中に位置付ける……これを今後の基本方針としています。これらを実践すれば、地域は絶対に発展するはずです。
 
 ただ、最大産業になる中で、セーフティーネットの役割を放棄することは許されません。
株式会社は株主への還元に価値をおきますが、我々はセーフティーネットを守り、人々の生活や健康に貢献することを価値として最大産業になることを目指します。
 
−−地域医療のマスタープランも考えておられますね。
 
亀田 半径50キロ圈で、人口50万〜100万人に対して一つのシステムを想定しています。急性期医療を集約化しても、1時間はかからない規模です。
まず、1次・2次救急と高度医療が受けられる急性期型の中核病院を据え、亜急性期病棟や、医療依存度の高い重度身体障害者施設などの介護・福祉施設とも協働できるようにします。
また、医療依存度の低い特別養護老人ホームやケアハウス、グループホームなどの施設群を点在させ、住み慣れた地域でサービスを受けられるようにします。
 
 救急医療もできないような今の中途半端な自治体病院は全部統合して集約します。
その跡地は介護福祉の施設として使えるものは使う。
そこに総合的な、高齢者から子どもまでを診る家庭医医療のグループ診療所とデイケアを置くのです。
 

3兄弟で情報共有して役割分担
 
−−ご兄弟は、どのように役割を分担されているのですか。
 
亀田 僕の代は4兄弟で、今は2番目の兄の隆明が医療法人の理事長を務めています。
かつて心臓外科の臨床もしていましたが、今は経営に専念しています。
政策的なことが好きで、勘定や交渉など渋い所を担当する実力者です。
新病棟建設では資金計画をはじめとして一切を手掛け、2年前に1番上の兄から理事長職を引き継ぎました。
 
 僕(整形外科)と双子の弟の省吾(産婦人科)はずっとプレーイングマネジャーです。
省吾は新たな学校法人の理事長として奔走しつつ、亀田クリニックの院長職にもあります。
 
 僕は新しいことを考えるのが好きなので、役回りはプロデューサーあるいはプランナーです。
計画中の病棟にも細部までかかわり、設計士や施工の現場監督よりもよく分かっているつもりです。
 
 医療をオーケストラに例えると、ステージで指揮を振るのは、各診療科の部長で、患者さまもご家族も客席でなくステージにいます。
チームにいいハーモニーを作らせるために、プロデューサーは良いコンサートホールを作ってチケットを売り、指揮者の名前を高めるのも仕事のうちです。
 
 週に2〜3回は、兄弟3人で飲みながらワイワイ言って話をします。
院長室はないので、居室も一緒です。
役割は厳密に区分されておらず、結構オーバーラップしているので、完全に情報を共有し、基本だけ押さえていくというやり方です。
大枠は違っても、その時々で基本となる所はみんなで力を合わせ、できることはともかく何でもする。
しょっちゅうけんかもして、みんな声が大きいから大騒ぎになります。
 
−−経営はどこで学ばれましたか。
 
亀田 特にありません。
本を読んで大学で教わって経営ができるのなら苦労はしません。
発想するのに大事なことはただ一つ、常にアイスブレーキングして、瞬間的に全部新しく考える。
いつも同じことを言っていては、人間は変われないし面白くもありません。
 
 我々は志だけで生きています。着ている物と言えば、ほら今日も1000円のセーターです。あるのは志だけです。
 
(聞き手 塚ア朝子・ジャーナリスト)