![]() 『公立病院もやれば出来る・・・産科医が助産師を理解し、信頼することで、亀田さんの理想に近い連携の形が生まれた 平成17年に開業するまでの間、亀田さんの理想は現実に阻まれ続けた。その最たる時期が、大阪府内の公立病院に産科部長として勤務していた3年余りだった。 その公立病院では当時、年間約1000件のお産を医師5人で受け持ち、うち3人は大学を出たばかりの研修医だった。亀田さんは1年365日、神戸に住む家族と離れて病院の近くに単身赴任し、いつ呼び出しがあるか分からない緊張に耐えていた。 生活が安定してこそ人に優しくなれるのに、精神的にぎりぎりまで追いつめられていた。 身を粉にして働いても、理想に手が届かないどころか、現実の前に消えそうになる。そうして出した結論が、開業だった』 【この現場 第3部 お産は変わるか】(5)産科医療のゴール 2008.08.09 産経新聞 ◆子育てにつなげるケアを 「男の私が出入りすることで、リラックスした雰囲気を壊したくない。妊婦さんには、ずっと寄り添ってくれる助産師にこそ『ありがとう』と言ってほしい」 産婦人科診療所「亀田マタニティ・レディースクリニック」(神戸市灘区)の院長、亀田隆さん(50)はお産が始まると、分娩(ぶんべん)室の閉じた扉の真ん前にいすを置き、妊婦の息づかいと助産師のかけ声に耳を澄ませる。 無事に産声が聞こえれば、室内をのぞくことなくそっと立ち去る。予期せぬ緊急事態が起きた場合は、呼ばれなくても分娩室に入っていく。亀田さんはそれが産科医の仕事、と心得ている。 分娩台を使わず自由な姿勢で産む「フリースタイル出産」や、妊婦の力を引き出す身体作りなど、亀田さんは母親が主役のお産を心がけてきた。通常30万〜40万円とされる出産費用は40万〜50万円とやや高めだが、すでに年明けまで分娩予約が埋まっている。 ただ、平成17年に開業するまでの間、亀田さんの理想は現実に阻まれ続けた。その最たる時期が、大阪府内の公立病院に産科部長として勤務していた3年余りだった。 □ □ □ その公立病院では当時、年間約1000件のお産を医師5人で受け持ち、うち3人は大学を出たばかりの研修医だった。亀田さんは1年365日、神戸に住む家族と離れて病院の近くに単身赴任し、いつ呼び出しがあるか分からない緊張に耐えていた。 「生活が安定してこそ人に優しくなれるのに、精神的にぎりぎりまで追いつめられていた」 目の前の妊婦に今すぐ産んでもらわなければ、外来が始まってしまう。次の手術が遅れてしまう、会議にも間に合わない…。「早く済まさなければ」。自然な営みであるはずのお産を、いつの間にか業務としてスケジュール管理していた。 産科部長という職責も重圧だった。不慣れな研修医を含め医師全員が行った処置をすべて把握することはできない。しかし母子に万一のことがあれば、監督責任を問われる。巨額の損害賠償を払ったり刑事事件で立件されたりというリスクもあった。 身を粉にして働いても、理想に手が届かないどころか、現実の前に消えそうになる。そうして出した結論が、開業だった。 □ □ □ 亀田クリニックには月3回、生後1歳半までの赤ちゃんと母親が集まる日がある。産後交流会「かめっこクラブ」。座布団に子供を寝かせ、母親は隣同士で子育て談議に花を咲かせる。 おしゃべりの輪を回って悩みを聞くのが、専属助産師の鴻野あつ子さん(37)の仕事だ。妊娠を機に仕事から退いたが、亀田クリニックで出産したとき、介助してくれた助産師からクリニックを手伝ってほしいと頼まれた。2歳になった長男の育児と両立させるため、交流会の仕事だけを担当している。 ベッドが9つしかない小さな診療所に、勤務する助産師は大病院並みの19人。大半は鴻野さんのように口づてで集まり、希望する時間帯にパートで働いている。総合病院のNICU(新生児集中治療室)で働いていた人、アロマや針治療に詳しい人など、それぞれ得意分野を持ち、学び合うことで、妊産婦への手厚いケアにつなげようとしている。 産科医が助産師を理解し、信頼することで、亀田さんの理想に近い連携の形が生まれた。お産に携わる多くの人にとって、亀田さんの次の一言には納得がいくはずだ。 「産科医療のゴールは、お産だけではない。お母さんたちが子育てにうまくこぎ出せるようにお手伝いするという、大きな目的があるのです」 |